【動画まとめ】上岡龍太郎の話術が天才的!鶴瓶と名コンビだった!

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元タレントの上岡龍太郎さんが2023年5月19日に亡くなっていたことが公表されました。

たくみな話術と鋭い切り口が大人気の上岡龍太郎さんがどんなトークをしていたのか、引退してから年月も経っていますので改めて振り返ってみたいと思います。

そこでこの記事では、

  • 上岡龍太郎さんの話術を動画で紹介

としていくつかの動画をまとめてみました。

目次

【動画】上岡龍太郎の話術がすごい!

上岡龍太郎さんの話術を動画でご紹介します。

動画内で上岡龍太郎氏が語った『芸能人論』は、「売れたらええけど売れなんだらこんなみじめな商売はない!」と語っているのですが、今のYoutuberに通づるものがあるという声があるのですね。

上岡龍太郎さんの、歯に衣着せぬ物言い一切の忖度なしで爽快かつ大胆です!持論は『芸人は落ちこぼれのアウトロー。お笑い芸人とヤ〇ザは根が同じ。癒着どころか同じタイプ』というもので、今の時代なら放送禁止になりそうなギリギリのトークが懐かしいですね。

上岡龍太郎さんは「大震災の時に報道陣が何百人もの救助を邪魔した」と言及。要するに「取材ヘリの爆音で、何人もの細い声をかき消した」と発言しています。日本のテレビには悲しもうとするセンチメンタリズムはあるが、人間らしいヒューマニズムがない。このようなまっとうで忖度のない意見グサリと言う話術には上岡龍太郎さんの美学を感じます。

博識で知的な上岡龍太郎さんの流れるような話術は、バツグンの相性の鶴瓶さんと組むことでさらに上質なものになりました!上岡龍太郎さんの話術は、笑いの勘所も抜群で誰にもまねが出来ません。

https://twitter.com/harmonymellchan/status/1664480369163530240?s=20

上岡龍太郎さんは「テレビに対して過大評価せんこと」と言ってます。テレビを消して本を読む、人と話す、そして街へ出ることが人生を豊かにすると言っています。

テレビで生きている芸能人がさらっと言ってのけて納得させる話術は上岡龍太郎さんらしいですね。

鋭い中に愛もある話術の持ち主・上岡龍太郎さんは2000年に58歳で引退しています。

その後二度と表舞台には戻らなかったため知らない人も多いようですが…。

上岡龍太郎のwikiプロフィール

上岡龍太郎さんのプロフィールをご紹介します。

  • 名前:上岡龍太郎
  • 本名:小林龍太郎
  • 別名:横山パンチ
  • 生年月日:1942年3月20日
  • 出身地:京都市左京区
  • 身長:165㎝
  • 職業:漫才師
  • 活動時期:横山パンチとして1960~1968年/上岡龍太郎として1968~2000年

上岡龍太郎さんの活動時期は、1968年を境にわかれています。

前半の活動期間である1960~1968年は、上岡龍太郎さんが18歳の時に横山ノックさんに誘われて「横山パンチ」という名で横山フックと3人で「漫画トリオ」の名で漫才を始めたところから始まります。

そして後半の活動期間1968~2000年は、横山ノックさんが1968年に参議院議員選挙へ出馬することをを機にトリオが解散したことから始まります。

ここからは「上岡龍太郎」の名前で活動スタート。

破天荒な内容と博識で流れるような話術が評判になった上岡龍太郎さん。

大阪から東京へ進出しても順調でしたが、あるとき上岡龍太郎さんは引退を決意

引退理由は、いくつもウワサされました。

1つは、局がスポンサーなどに忖度して思うようにものが言えなくなってきた時代になり自分の語り口が合わなくなったことが原因だとか、または奥さんに「引退したほうがいいタイミングが来たら教えてくれ」と頼んでいて「今やで」と言われたとか、または楽屋の鏡で自分が老人になった見た目の衰えが許せなかったとか、またはアメリカへ行ってゴルフのプロになりたいから、などなど色々な理由が言われています。

上岡龍太郎さんが引退理由を聞かれるたび、その時々で違うことを話したためにこのように色々な理由がささやかれているのですが、どれも本心なのかもしれませんね。

当初、周囲は本気にとらえていなかったのですが、2000年の58歳で上岡龍太郎さんは引退して二度と表舞台には戻りませんでした。

関西の話術名人、上岡龍太郎さんのご冥福をお祈りします。

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